「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」2007年05月28日 21時46分

硫黄島
前から気になっていた「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」
をレンタルしていて、ようやく昨日、見終わった。
先週から来ていたものの、熱発の影響で、ずっとほっておいた。

公開の順番にも意味があるだろうと、「父親〜」を先に見て、
その後「硫黄島〜」を見ることにした。2時間強の映画であり
戦争ものということもあって、結構見るにも気合がいる。
これで、ディズニー反日娯楽恋愛戦争映画「パールハーバー」
みたいだったら、30分くらい見て、返却するつもりだった。

でも、クリントイーストウッド。
やっぱり、ダーティハリー、ひと味違った。

アメリカ側から描いた「父親〜」と日本側から描いた「硫黄島〜」
ではあるけれど、ある意味同じ戦争(戦場)を通して、
描きたかった面は、それぞれちょっと違っていた様に感じる。

ホントに言いたかった方は、やはり「硫黄島〜」の方にあったのかも
と2本見ると、なんとなく思える。
また、アメリカ=善、日本=悪のステレオタイプなお馬鹿な映画にも
なっていない。一部の描写に?と思う節はあったが、大本営から
見捨てられた、日本の最終防衛線を守ろうとする、戦争末期の
異常とも言える行為も、良く表現されているかと思う。
(権力を笠に着る、莫迦な輩も大勢いたのだろうなぁ)

「硫黄島〜」劇中、伊原剛志演ずる、元オリンピック馬術
金メダリストの軍人・西が、捕虜となった米軍の若者と「英語」
で会話するシーンがある。
言葉が通じて、共通の話題(たぶんここではロス五輪)があれば
戦争なんてしなくても理解しあえるという、演出であり、
この部分がもっとも重要なテーマだったように思える。

本国で指示するだけのお偉いさんから見たら、
所詮末端の捨て駒でしかない一兵卒が、悲惨極まりない
最期を遂げた方も沢山いたかもしれないと思うと、
戦争の大義や名誉なんてどうでもいいのかもと思えなくもない。

ただ、小林よしのり氏の描く「戦争」の意味と、
イーストウッド監督の描こうとしている「戦争」の視点は、
天と地の両方であり、どちらも「戦争」であろう。

はっきり言って、「父親〜」と「硫黄島〜」は双子映画では
あるが、あるシーンとあるシーンがリンクするだけで、同じ登場
人物がでてくる訳ではない。
「父親〜」の方は、アメリカのプロパガンダに利用され、
実際の戦争だけでなく、帰国しても心を病んだ、若者の話し。

どちらも分けてみるのはいいけど、両方見るのであれば
「父親〜」→「硫黄島〜」だろうな。

久々に考えさせられた、戦争映画でした。